笑う犬 : 動画集 Dailymotion
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笑う犬(わらういぬ)とは、フジテレビが放送した1998年から始まった「笑う犬の生活」から、2003年の「笑う犬の太陽」までのテレビ番組(バラエティ番組)の総称で、ここではそれら全ての番組を取り扱う。略称は「笑犬(わらいぬ)」。
[編集] 番組内容及び沿革
[編集] 笑う犬の生活 YARANEVA!!
1998年10月14日 - 1999年9月29日 水曜23:00 - 23:20
1998年10月、ウッチャンナンチャンの内村光良の「純粋コント番組を作りたい」の一言で始まった番組が、『笑う犬の生活-YARANEVA!!-』。「純粋コント番組」というコンセプトのためか、ロゴも『笑う』が大きく表示され下に小さく「犬の生活」さらに小さくその下に「-YARANEVA!!-」が付いていた。
2000年12月31日フジテレビ大晦日特番での内村と志村けんの対談で、内村は「5,6年前自分と志村は一度飲み屋(スターバー)で偶然会い、その時志村に言われた『あなたはコントで出てきたんだから、コントを続けなさい』という言葉を胸に「笑う犬」を立ち上げた。」と番組制作のきっかけを明かしている。しかし志村は「自分はその時、既に泥酔状態だったので自分の言った事を覚えていない」と返したため、内村は倒れこんでしまった。
タイトルの『笑う犬の生活』は座長内村の敬愛するチャーリー・チャップリンの『犬の生活』から。 (小須田部長のコントが飼い犬の悲哀ならこれは野良犬の悲哀。1918年/アメリカ映画)
サブタイトルの「YARANEVA!!」は以前ウッチャンナンチャンが同じフジテレビでやっていた番組『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば』から。不慮の事故で終わってしまったこの番組への想いがあり、内村の相方・南原清隆に許可を貰って付けられていた。
『笑う犬の生活-YARANEVA!!-』のメンバーは、内村、まだ若手だったネプチューンの3人、オセロの中島知子と、女優の遠山景織子。(これを聞いた内村は男性4人と女性2人だと夢で逢えたらと比較されるとかなり意識した。)内村の相方・南原は「自分はメンバーに内緒で番組のマスコットキャラクター・青い犬の着ぐるみに入って初回から参加していた」とコメントしたことがあるが、冗談なのか真実なのかは不明。
番組のマスコットキャラクター・青い犬の息子が現在フジテレビのマスコットキャラクターのラフくんである。
当初のエンディング曲は、宇多田ヒカルのデビュー曲『Automatic』。コントで中島がプロモーションビデオのパロディを演じたこともある。なお、オープニング曲であるショッキング・ブルーの『ヴィーナス』はシリーズを超えて使用されていた。
エンディングで内村が、この番組の次に放送される『ニュースJAPAN』のキャスター(当時)、安藤優子に扮してミニコントをし、話題に。この「安藤さん」が終わった後すぐに『ニュースJAPAN』の生予告に接続されるため、いわゆる「一方的なコラボレーション」であった。安藤も報道フロアのモニターからそれを見ていて必死に笑いを堪えており、それがきっかけで二人は親しくなった(「安藤が怒っている」と聞いた内村が、「安藤さんのモノマネを止めようかな…」と、番組内で発言した際、安藤がゲストとして突如出演。「私、あんな変な顔してますか?」とツッコんではいたが、モノマネを楽しんでいる様子だった。そこから交流が始まり、『笑っていいとも!』のテレフォンショッキングに出演した際には互いに花を贈り合っていた。)。
稀に『ニュースJAPAN』に大物政治家がゲストとして出演した際、「安藤さん」の後の微妙な空気の中でゲストの政治家が映し出される場面も見られるなど、ハプニング性のあるコーナーであった。
このスタイルは放送時間が移動し、笑う犬の発見にリニューアルした際、エンディング時に後番組の『発掘!あるある大事典』のパロディーを行った点に引き継がれているが、同番組の予告は事前収録のため、各回のハプニング性では本家に及ばなかった。
夜11時からの深夜番組でありながら高視聴率をたたき出し、1999年6月にはゴールデンタイムでのスペシャルが放送された。この際は、ゲストとしてエンディング担当の宇多田ヒカルが青い犬の着ぐるみを着て登場。当時は人気が社会現象化しメディア露出が稀だったため話題となった。この時は堀内健が着ぐるみの中身を知らずにドロップキックなどをしたため、内村が必死でフォローしていた。
[編集] 笑う犬の冒険 SILLY GO LUCKY!
1999年11月21日 - 2001年9月16日 日曜19:58 - 20:54
1999年10月に異例の速さで日曜夜8時のゴールデンタイムへ進出、番組タイトルが「生活」から「冒険」に変わる。バレーボールワールドカップの為、スタートが11月にずれ込んだ。
『笑う犬の冒険』初回は2時間スペシャルで、新メンバーとして南原、ビビるが加わった。なお、南原のレギュラー入りは視聴者から反対の投書が多く寄せられた。
オープニングシーンでレギュラー登場の際のメンバー紹介役として谷啓も参加、バックダンサーは当時3人だったEE JUMP。「生活」時代からのキャラに加え、新メンバーとの新作コントも人気を生んだ。「冒険」時代が一番の安定期であった。2000年1月9日にNHK大河ドラマ『葵徳川三代』の 初回と同じ時間に特番を放送し、大河ドラマに視聴率で競り勝った経緯がある。
2000年3月に番組出演者・スタッフの不祥事により、同年5月までこの当時、日曜夜8時枠の筆頭スポンサーだったP&Gを含め(ほかに日清食品・キリンビバレッジ・フジパン・ブルボン・NISSANなど)表向きスポンサーなしの状況があった。ただ、「笑う犬」休止時のアニメスペシャルやナイター中継は従来通り表示した。
番組が、以前『ダウンタウンのごっつええ感じ』が放送されていた枠に移ると決まった時、座長内村は「やっぱ、ごっつの後をやるなら松ちゃん(ダウンタウン松本人志)に一言聞きたい。聞いて、そういうのがOKだったら僕はやれるけど、そうじゃないとやっぱ出来ない」と最後まで反対していた。しかし松本は、「いや・・・それは全然・・・かまへんのんちゃうん?」と言ったため、晴れて日曜夜8時に『笑う犬の冒険』が始まった。
冒険以降の構成作家として宮藤官九郎も参加、太陽ではコントにも出演。
2001年4月に遠山の出産による卒業とともにメンバーを大幅増員。土田晃之・与座嘉秋・杉崎政宏・ベッキー・松尾れい子・大谷みつほが加わる。
[編集] 笑う犬の発見 Go with flow!
2001年10月14日 - 2002年9月15日 日曜19:58 - 20:54
メンバーを大幅に削減。ウンナンとネプチューンで作る「笑う犬の発見」となった。
この辺りから、番組当初の概念が少しずつ変化。コント作品の『量より質』を重視するためコントを減らし、「機関車ナーマス」が打ち切りになった。代わりに「ニコニコプンスカハムえもん」や「ホリケン★サイズ」などのコーナーが誕生。
座長内村は『作り込んだコントが好き』『作るならちゃんと作りたい』と望んでいたが、「発見」後半の2002年にはバラエティとドラマでレギュラー7本。笑う犬にも殆ど参加出来ない回があった。当時ゲッソリ痩せ、かなり多忙だったと思われ、ドラマ共演者からは『いつ寝ていつセリフを覚えているのか?』と言われていた。
[編集] 笑う犬の情熱 Gonna go crazy! Funky Dogs
2002年10月13日 - 2003年9月28日 日曜19:58 - 20:54 2002年10月、「笑う犬の情熱」にタイトルを変更。内村は当初、「笑う犬の出産」というタイトルを考えていた。
開始当初はコントは生活・冒険、ゲームコーナーは発見のスタイルと過去の笑う犬シリーズの集大成といえる要素が多かったが、生活・冒険のころのようにキャラクターが定着せず、さらには裏番組の『大改造!!劇的ビフォーアフター』(ABC制作テレビ朝日系)が猛追したことにより視聴率もしだいに下降していった[1]。
[編集] 笑う犬の太陽 THE SUNNY SIDE of Life
2003年10月14日 - 12月9日 火曜20:00 - 20:54 2003年10月、幾たびのリニューアルを経て、日曜から火曜日に『笑う犬の太陽』として放送日が移動。当初は『笑う犬の散歩』というタイトルを考えていたらしい。
しかし、各局共バラエティ時間帯の枠であり、特に裏番組に『NHK歌謡コンサート』(NHK総合テレビ)や『学校へ行こう!』(TBS系)、『踊る!さんま御殿!!』(日本テレビ系)といった強力な人気番組があったため、すでに落ち始めていた視聴率は更に低迷を続けた。局内を歩く芸能人の私服チェックをするコーナーを放送するなど、笑う犬シリーズの特色はかなり失われていた。視聴率の低迷のほかにワールドカップバレーボール2003やスペシャル番組の乱発で、僅か放送7回で「-太陽」は打ち切りとなり、2003年12月、『笑う犬』の全シリーズが放送終了。
[編集] その他
ゴールデン昇格を記念して3週にわたって『笑う犬のアーリータイムス』と銘打った総集編も放送された。また、「太陽」終了後は笑う犬シリーズレギュラーのメンバーを中心とした単発のコント番組が数本放送された。
[編集] 番組内容及び沿革
[編集] 笑う犬の生活 YARANEVA!!
1998年10月14日 - 1999年9月29日 水曜23:00 - 23:20
1998年10月、ウッチャンナンチャンの内村光良の「純粋コント番組を作りたい」の一言で始まった番組が、『笑う犬の生活-YARANEVA!!-』。「純粋コント番組」というコンセプトのためか、ロゴも『笑う』が大きく表示され下に小さく「犬の生活」さらに小さくその下に「-YARANEVA!!-」が付いていた。
2000年12月31日フジテレビ大晦日特番での内村と志村けんの対談で、内村は「5,6年前自分と志村は一度飲み屋(スターバー)で偶然会い、その時志村に言われた『あなたはコントで出てきたんだから、コントを続けなさい』という言葉を胸に「笑う犬」を立ち上げた。」と番組制作のきっかけを明かしている。しかし志村は「自分はその時、既に泥酔状態だったので自分の言った事を覚えていない」と返したため、内村は倒れこんでしまった。
タイトルの『笑う犬の生活』は座長内村の敬愛するチャーリー・チャップリンの『犬の生活』から。 (小須田部長のコントが飼い犬の悲哀ならこれは野良犬の悲哀。1918年/アメリカ映画)
サブタイトルの「YARANEVA!!」は以前ウッチャンナンチャンが同じフジテレビでやっていた番組『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば』から。不慮の事故で終わってしまったこの番組への想いがあり、内村の相方・南原清隆に許可を貰って付けられていた。
『笑う犬の生活-YARANEVA!!-』のメンバーは、内村、まだ若手だったネプチューンの3人、オセロの中島知子と、女優の遠山景織子。(これを聞いた内村は男性4人と女性2人だと夢で逢えたらと比較されるとかなり意識した。)内村の相方・南原は「自分はメンバーに内緒で番組のマスコットキャラクター・青い犬の着ぐるみに入って初回から参加していた」とコメントしたことがあるが、冗談なのか真実なのかは不明。
番組のマスコットキャラクター・青い犬の息子が現在フジテレビのマスコットキャラクターのラフくんである。
当初のエンディング曲は、宇多田ヒカルのデビュー曲『Automatic』。コントで中島がプロモーションビデオのパロディを演じたこともある。なお、オープニング曲であるショッキング・ブルーの『ヴィーナス』はシリーズを超えて使用されていた。
エンディングで内村が、この番組の次に放送される『ニュースJAPAN』のキャスター(当時)、安藤優子に扮してミニコントをし、話題に。この「安藤さん」が終わった後すぐに『ニュースJAPAN』の生予告に接続されるため、いわゆる「一方的なコラボレーション」であった。安藤も報道フロアのモニターからそれを見ていて必死に笑いを堪えており、それがきっかけで二人は親しくなった(「安藤が怒っている」と聞いた内村が、「安藤さんのモノマネを止めようかな…」と、番組内で発言した際、安藤がゲストとして突如出演。「私、あんな変な顔してますか?」とツッコんではいたが、モノマネを楽しんでいる様子だった。そこから交流が始まり、『笑っていいとも!』のテレフォンショッキングに出演した際には互いに花を贈り合っていた。)。
稀に『ニュースJAPAN』に大物政治家がゲストとして出演した際、「安藤さん」の後の微妙な空気の中でゲストの政治家が映し出される場面も見られるなど、ハプニング性のあるコーナーであった。
このスタイルは放送時間が移動し、笑う犬の発見にリニューアルした際、エンディング時に後番組の『発掘!あるある大事典』のパロディーを行った点に引き継がれているが、同番組の予告は事前収録のため、各回のハプニング性では本家に及ばなかった。
夜11時からの深夜番組でありながら高視聴率をたたき出し、1999年6月にはゴールデンタイムでのスペシャルが放送された。この際は、ゲストとしてエンディング担当の宇多田ヒカルが青い犬の着ぐるみを着て登場。当時は人気が社会現象化しメディア露出が稀だったため話題となった。この時は堀内健が着ぐるみの中身を知らずにドロップキックなどをしたため、内村が必死でフォローしていた。
[編集] 笑う犬の冒険 SILLY GO LUCKY!
1999年11月21日 - 2001年9月16日 日曜19:58 - 20:54
1999年10月に異例の速さで日曜夜8時のゴールデンタイムへ進出、番組タイトルが「生活」から「冒険」に変わる。バレーボールワールドカップの為、スタートが11月にずれ込んだ。
『笑う犬の冒険』初回は2時間スペシャルで、新メンバーとして南原、ビビるが加わった。なお、南原のレギュラー入りは視聴者から反対の投書が多く寄せられた。
オープニングシーンでレギュラー登場の際のメンバー紹介役として谷啓も参加、バックダンサーは当時3人だったEE JUMP。「生活」時代からのキャラに加え、新メンバーとの新作コントも人気を生んだ。「冒険」時代が一番の安定期であった。2000年1月9日にNHK大河ドラマ『葵徳川三代』の 初回と同じ時間に特番を放送し、大河ドラマに視聴率で競り勝った経緯がある。
2000年3月に番組出演者・スタッフの不祥事により、同年5月までこの当時、日曜夜8時枠の筆頭スポンサーだったP&Gを含め(ほかに日清食品・キリンビバレッジ・フジパン・ブルボン・NISSANなど)表向きスポンサーなしの状況があった。ただ、「笑う犬」休止時のアニメスペシャルやナイター中継は従来通り表示した。
番組が、以前『ダウンタウンのごっつええ感じ』が放送されていた枠に移ると決まった時、座長内村は「やっぱ、ごっつの後をやるなら松ちゃん(ダウンタウン松本人志)に一言聞きたい。聞いて、そういうのがOKだったら僕はやれるけど、そうじゃないとやっぱ出来ない」と最後まで反対していた。しかし松本は、「いや・・・それは全然・・・かまへんのんちゃうん?」と言ったため、晴れて日曜夜8時に『笑う犬の冒険』が始まった。
冒険以降の構成作家として宮藤官九郎も参加、太陽ではコントにも出演。
2001年4月に遠山の出産による卒業とともにメンバーを大幅増員。土田晃之・与座嘉秋・杉崎政宏・ベッキー・松尾れい子・大谷みつほが加わる。
[編集] 笑う犬の発見 Go with flow!
2001年10月14日 - 2002年9月15日 日曜19:58 - 20:54
メンバーを大幅に削減。ウンナンとネプチューンで作る「笑う犬の発見」となった。
この辺りから、番組当初の概念が少しずつ変化。コント作品の『量より質』を重視するためコントを減らし、「機関車ナーマス」が打ち切りになった。代わりに「ニコニコプンスカハムえもん」や「ホリケン★サイズ」などのコーナーが誕生。
座長内村は『作り込んだコントが好き』『作るならちゃんと作りたい』と望んでいたが、「発見」後半の2002年にはバラエティとドラマでレギュラー7本。笑う犬にも殆ど参加出来ない回があった。当時ゲッソリ痩せ、かなり多忙だったと思われ、ドラマ共演者からは『いつ寝ていつセリフを覚えているのか?』と言われていた。
[編集] 笑う犬の情熱 Gonna go crazy! Funky Dogs
2002年10月13日 - 2003年9月28日 日曜19:58 - 20:54 2002年10月、「笑う犬の情熱」にタイトルを変更。内村は当初、「笑う犬の出産」というタイトルを考えていた。
開始当初はコントは生活・冒険、ゲームコーナーは発見のスタイルと過去の笑う犬シリーズの集大成といえる要素が多かったが、生活・冒険のころのようにキャラクターが定着せず、さらには裏番組の『大改造!!劇的ビフォーアフター』(ABC制作テレビ朝日系)が猛追したことにより視聴率もしだいに下降していった[1]。
[編集] 笑う犬の太陽 THE SUNNY SIDE of Life
2003年10月14日 - 12月9日 火曜20:00 - 20:54 2003年10月、幾たびのリニューアルを経て、日曜から火曜日に『笑う犬の太陽』として放送日が移動。当初は『笑う犬の散歩』というタイトルを考えていたらしい。
しかし、各局共バラエティ時間帯の枠であり、特に裏番組に『NHK歌謡コンサート』(NHK総合テレビ)や『学校へ行こう!』(TBS系)、『踊る!さんま御殿!!』(日本テレビ系)といった強力な人気番組があったため、すでに落ち始めていた視聴率は更に低迷を続けた。局内を歩く芸能人の私服チェックをするコーナーを放送するなど、笑う犬シリーズの特色はかなり失われていた。視聴率の低迷のほかにワールドカップバレーボール2003やスペシャル番組の乱発で、僅か放送7回で「-太陽」は打ち切りとなり、2003年12月、『笑う犬』の全シリーズが放送終了。
[編集] その他
ゴールデン昇格を記念して3週にわたって『笑う犬のアーリータイムス』と銘打った総集編も放送された。また、「太陽」終了後は笑う犬シリーズレギュラーのメンバーを中心とした単発のコント番組が数本放送された。








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